LOGIN

ADMIN ID:
ADMIN PW:

CALENDAR

<< 2018/06 >>
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

NEWEST / < NEXT   BACK >

主体として生きる

大変ご無沙汰しております。申し訳ありませんでした。
ここ暫く、色々な会でお話しをさせていただく機会をいただき、ずっと考えていたことがありましたので、今日はそのことを書かせていただきます。

今、「主体的」という言葉を聞かない日はないと言ってもよいぐらい、教育の世界は「主体的」ブームです。では、主体的とはいったい何なのかと、自分の頭の中を探してみましても、しっくり来る言葉が出てきませんでした。それならと、色々探してみますと漠然としていたイメージが自分なりにまとまって来たのですが、その時感じたことは、「ああ、この探しながら考えるという行為は、学生の頃経験した楽しかった主体的な活動だな」という心地良さと、それとは反対に、「実は、自分はほとんど主体として生きてきたことは無かった」と言う苦い気持ちです。
探し考えながら、「主体として生きているかどうか」の判断はどこですれば良いのかについても考えてみたのです。
そして「自分がいつ、どこで、何を、どうするかを自分で決めることができている」をその基準として仮に定めてみました。その結果、先の苦い気持ちに行き当たった訳です。

この規準をクリアすることは、これから先も私には大変困難であるように思えます。
和を大切にし、与えられた階層の中で与えられた役割を全うすることに生き甲斐を感じてきた祖先の歴史を振り返ると、仕方がないようにも思えます。

小さな地球で生きる我々は、これまでのような経済成長に頼ることはできない。だから「持続可能な成長」が必要であると言われています。そして、世界には主体的に学ぶことを通じて「持続可能な成長」の実現に求められる人間の育成に効果があると言われる教育を実践している国があります。インターネットが発達して世界中がリアルタイムでつながっている今、日本も価値観を転換するべき時が来ています。
「持続可能な成長」のために求められる人間像について、ある人の言葉の一部を引用させていただきます。

未来は、人々の不満、利益追求、闘争、そして今の私たちには想像のできない新たな経済的、政治的、社会的状況によってきまるだろう。
けれども、たった一つ確信を持って言えることがある。
すべての厳しく険しい問題は、問題に取り組んでいこうとする人々がいて、彼らにその問題を乗り越えるだけの能力と覚悟があれば、解決されるだろう、ということを。
この人たちは、親切で、友好的で、互いに尊重する心を持ち、人を助ける心構えができており、自分に与えられた課題を一生懸命やろうとする意志を持ち、人の犠牲になる覚悟があり、真摯で、うそがなく、自己中心的でない人々でなければならない。
1926年 ペーター・ペーターゼン

この理念に基づきオランダやスェーデンで行われている教育は、主体として学び「持続可能な成長」を実現しようとするための貴重なお手本です。しかし、受けたことがない授業をイメージすることは難しく、そうやって生きてこなかった自分にとっては、どんな人間が何を考えて生活し、どんな社会を作っているのかもよく分からないのが正直なところなのです。暗中模索です。
主体として学び、主体として生きることを実現することの困難さを感じています。

一つ。せめて忘れないようにしなくてはと思うことは、「主体として」と「主体的に」の間には大きな違いがあるということです。「主体的に」学ぶことを目ざしながら、「主体として」学んでいると子どもたちに勘違いさせては、いけないと考えています。将来、この子たちが大人になった時、今の私と同じような苦い気持ちにさせたくはありません。
主体として生きるとは、自由に生きると言うこと。
子どもたちが、自由を目ざし生きることができるように願っています。


| Copyright 2018,05,24, Thursday 10:40am 校長室 | comments (x) | trackback (x) |

 

NEWEST / PAGE TOP / < NEXT   BACK >

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACK


LINK

PROFILE

OTHER

POWERED BY

BLOGNPLUS(ぶろぐん+)